楢﨑 瑞の日記
おかげさまで…
毎週土曜日に放送している「みんなのレノファ」が
週1回の放送になって、50回目を迎えました。
もちろんまだまだ通過点…ではありますが、「もうそんな回数なんだな」とも思います。
回数を重ねながら、少しずつ変わっていくものもあります。
レノファを取り巻く環境は少しずつ変わってきました。
JFL、その前の地域リーグ時代に比べ、J3、J2とカテゴリが上がるとともに知名度も上がり、
ホームゲームの観客は5000人を超えることも珍しいものではなくなりました。
私たち取材陣も、試合があれば当たり前のように2台のカメラで取材し、
月曜日のニュースで試合結果を、土曜日には応援番組を放送しています。
いまや県内、そしてyabにとっても、レノファは決して小さな存在ではなくなりました。
そしてこの春、ひとりのディレクターがその現場を「卒業」しました。
レノファが地域リーグにいたころから、
勝っても負けても、「ニュースで取り上げるかどうか…」という時代から、
ひたすらレノファを追い続けてきたディレクターです。
JFL加盟、J3入会、奇跡のシュートで決めたJ3優勝、そしてJ2昇格。
彼はチームの成長を見届けつつ、ニュースの一部だったレノファのコーナーを月1回の番組に、
そして週1回の番組へと成長させてきました。
もちろんそこには、たくさんの方々の努力がありました。
ただ、彼の情熱なしに、いまの「みんなのレノファ」はありません。
彼は常々、私たちスタッフにこう話しました。
「勝つから取材するんじゃない。勝たせるために取材するんだ」
「昇格するから取材するんじゃない。昇格させるために取材するんだ」と。
やがてその頑張りが大きな渦となって、その先頭を走るレノファの存在が、山口の文化を変えるのだ。
その助けになるのが、ローカル局の役割ではないか、と。
そんな信念を持って、たった一人で取材に駆け回った彼の頑張りが、いまの「みんなのレノファ」であり、
私たちのレノファに対する姿勢と言っても過言ではないと思います。
野球しか知らなかった私がサッカーを好きになったのも、
レノファのことを好きになったのも、
独特なナレーションも、
いまや番組の代名詞となった「やってやろうぜ」も、
すべて彼が残してくれたものです。
彼はこれから、
新たな部署で、また違ったアプローチでレノファを、yabを支えていきます。
彼が汗と情熱と涙を込めて作った番組は、私に託されました。
「自分に何ができるのか?」
大きすぎるものを引き継いで、自問自答しています。
正直、荷が重い、と思うこともあります。
この原稿を書いている時点で、
開幕から4試合勝ちなし。3連敗。
レノファは苦しんでいます。
「勝つから取材するんじゃない。勝たせるために取材するのだ」
考えに考えて、いまはふと思います。
こんなときだからこそ、応援番組として「やるべきこと」があるはずだ、と。
勝っても負けても、この姿勢がブレないこと。
彼が残してくれたものを守りつつ、昇華させつつ、
みんなの「最高の週末」の彩りになるように。
50回を迎えた「みんなのレノファ」。
積み重ねた回数は、番組の歴史であり、レノファの歴史でもあり、
山口に「プロサッカー」という新しい文化が根付いていく過程でもあります。
負けたときは一緒に悔しがり、
勝った時はどこまでも喜び、
時に厳しく、
時に提案をしながら…
いまはそれが、進むべき方向なのだと考えています。
色んなものを残してくれた彼に感謝しつつ、
これからも熱く、皆様にお伝えできればと思っております。
そしていつか、彼がまた帰ってきたときに、
レノファがさらに山口に根付き、J1という大きな舞台に立っていることを願いながら…
彼に負けないほどの情熱をレノファに注いで、追い続けて行きます。
さぁ、今シーズンも、「やってやろうぜ」