楢﨑 瑞の日記

熱戦

7月15日から始まった、第99回全国高等学校野球選手権山口大会は、

下関国際の初優勝で幕を閉じました。

 

私自身、4度目の野球実況でしたが、毎試合本当に熱い戦いで…

実況アナウンサーとして、

自分が実況を担当する学校には直接お邪魔して、いろんな取材をするのですが、

やはり学校、そして部員、関係者の数だけ、それぞれ夏への思いがありました。

 

さまざまな学校や選手、指導者の方に取材をした中で、

強く記憶に残っている言葉があります。

 

優勝した下関国際・坂原監督の言葉です。

 

「監督をするということは、選手の人生を預かっているんです。だからこそ、誰一人見捨てたくない。どう思われようと、誰一人として、その可能性を諦めたくないんです」

 

下関国際は、とにかく練習量の多い学校です。

元日から練習、授業の合間も素振り…とにかく常に練習している。

毎年冬場になると、練習の辛さに耐えられず、部活を辞めようと練習中に「逃げる」選手もいるとか。

「毎年、冬の風物詩になっていますね」

苦笑する坂原監督ですが、坂原監督は、ひとつだけ決めていることがあるそうです。

 

「逃げた選手は、練習中であろうと、自分が追いかける」ということ。

 

部員の自転車を借りて、下関の街を、選手を探して疾走する坂原監督。

なぜ毎回自ら追いかけるのですか?と問うと、

 

「ひとりひとり、私が声をかけてきた選手です。だからこそ、私がちゃんと話をしたい。私は監督です。選手たちの人生を預かっているんだから、逃げたからもう知らん、というのは許されないでしょう」

 

「人生を預かっている」

 

真剣なまなざしと言葉が、印象に残っています。

 

「坂原のところはとにかく練習がきつい、色んなことを言われると思います。ただ私は、自分がどう思われようと構わないです。本気で向き合うこと、本気で野球をすること、そして勝つこと。その喜びを、甲子園に行くことで、そして甲子園で勝つことで味わってほしい。それだけです」

 

広島県出身。

社会人野球の選手を引退したあと、高校野球の監督を志し、教員免許の取得のため、大学へ進学。

在学中の2005年、部員もままならず、部室もグラウンドも荒れ放題…そんな下関国際野球部の監督に

「自ら望んで」就任したという坂原監督。

 

決して、中学時代に優秀な成績ばかり収めた選手ばかりではありません。

だからこそ、ひとりひとりと向き合って、決して見捨てることなく、鍛え上げてきました。

 

もちろん、去って行った選手も多くいます。

 

「あの選手はね…」

ひとりひとり。去っていった選手のことを

どんな選手で、どんないいところがあったのか、細部まで話す坂原監督は、

普段の練習では見せない、悲しい表情をしていました。

 

止められなかった悔しさと申し訳なさ。

本当に正面から向き合っているのだな、と感じました。

 

指揮を執って13年目。

2年前は決勝で涙を飲みました。

その姿を見ていた当時の1年生が、植野主将ら、3年生です。

 

「自分も、練習から逃げたことがあります。辛すぎて。それでも監督は、何度も手を差し伸べてくれました。厳しいけど、見捨てないんです。だから自分は、甲子園に行って恩返しをしなきゃいけない」

 

決勝戦の前にそう話した植野主将の表情には、坂原監督と同じような「熱さ」がありました。

 

「やってきたことに間違いはない。そう思ってほしいんです。きっと、いつかわかってくれるといいなって…虫が良すぎるかもしれませんが、そう思っています」

 

右手を突き上げ、歓喜の輪を作る下関国際ナイン。

坂原監督の言葉を思い出して、こみあげるものを感じながら、実況席でその姿を見ていました。

 

「やってきたことは、間違いではなかった。突き上げた右手。その先には、甲子園が待っています」

 

毎年、その直前まで迷いに迷う優勝シーンの実況ですが、

自分でも驚くほど自然に、そんなフレーズを口にしていました。

 

「勝ったから」、「間違っていなかった」わけじゃない。

勝ち負け関係なく、

努力したことが「間違っていなかった」から、

この舞台で戦い、あるいは応援し、共に泣いて笑うことができる。

どんな形であれ、この舞台に立つこと。立ったこと。

そのために努力するのだ…そんなことを感じさせてくれた、下関国際の姿でした。

 

 

これから彼らは、敗れた59チームの思いと共に、全国の強豪たちと戦います。

どんな結果になろうとも、きっと正々堂々と、山口の代表として立派に戦ってくれるでしょう。

その姿を、今から楽しみにしたいと思います。