八谷 英樹の日記
自分のルーツを探る旅 ~後篇~
以前、このコラムで
私の祖母のルーツが山口市にあったことを書きました。
きわめて個人的な内容だったにも関わらず、
意外にも多くの方から反響をいただきました。
みなさん、「自分のルーツ」に興味があるんですねぇ。
少し時間が経ちましたが、前回の続きを書きます。
先に断っておきますが、
少し長くなる上に、特にオチはありません。
まずは「祖母の父」をたどりました。
私にとって曽祖父にあたる水上福太郎さん。
私が生まれたときにはすでに亡くなっていたので、
私は会ったことはありません。
明治29年生まれ。曽祖父は萩にゆかりがあったようで、
萩市役所に行き、戸籍を取り寄せました。
曽祖父です。似てます?
阿武郡萩町大字吉田町26番地。
(当時は、「阿武郡萩町」だったんですね!)
さっそく行ってみました。
田町商店街のすぐ近くでした。
現在「吉田町26番地」は存在せず、
かつて26番地があったと思われる場所は、駐車場でした。
おとなり、25番地にある山根商店のおばさまを訪ねました。
事情を伝えると、
「これも何かの縁ですから」と自宅に上げてくださいました。
おばさま:「あなたがあと30年早く来ていたら、
○○さんや△△さんがいたから、わかったかもしれないけれど」
私 :「30年前・・・僕はまだ4歳です(笑)」
なんてやりとりをしながら、
「昔の萩のこと」をいろいろ教えてくださいました。
山根商店のおばさま、貴重なお話をありがとうございました。
曽祖父がつないでくれた縁に感謝です。
さて、さらに時代を遡ります。
戸籍をたどっていくと・・・
水上利右衛門さん(5代前の先祖)、
水上庄右衛門さん(6代前の先祖)。
萩市役所では、ここまでわかりました。
水上利右衛門さんは、文化元(1804)年生まれで
嘉永4(1851)年に家督相続と書いてありました。
166年前!こんなに古い戸籍が残っているんですねぇ。驚きました!
住所は、阿武郡萩町大字熊谷町第四番屋敷。
当時の熊谷町は商人が多く住む町だったとのこと。
私の先祖も何か商いをしていたのかなぁ・・・と思いを馳せます。
さて、戸籍の他に先祖について知る方法はないだろうかと、
県立山口図書館に行き、萩藩について少し勉強しました。
すると、私の先祖と同じ「水上」という姓の萩藩士がいたことがわかりました。
森田流の笛吹。能の役者をやっていたそうです。
萩藩では、能役者も寺社組に属した士族だったそうです。
萩藩では、「分限帳」「無給帳」といって、
武士の禄(給料)と家長が記載された台帳が定期的に作られていました。
山口県文書館(県立山口図書館内)で閲覧できます。
山口県文書館所蔵
これが無給帳です。「目次」がないので、1ページずつ捲って調べます。
(これが結構大変な作業でした・・・。)
たまたま同じ「水上」という姓なのか、どこかで繋がっているのか。
今回、そこまではわかりませんでした。
名前の特徴などを見ると、
もしかしたらどこかの代で分家したのかもしれないなぁと想像しています。
(当時の社会では、家督を継ぐのは基本的に長男だけですからね)
明確な系図があると、はっきりわかるんでしょうけど、
いろいろ想像するのは、それはそれでロマンがあります。
いずれにしても、わかったことは、
私のルーツが、萩市熊谷町にあったということ。
「四番屋敷」があったと思われる場所も調べて行ってみました。
ここに「ルーツ」があるんだなぁ・・・と思うと、ちょっと感動しました。
初めて萩を訪れたのは2年半ほど前。
なぜかノスタルジックな気持ちになったのを覚えています。
今思うと、DNAが懐かしんでいたのかもしれません。
今回の「自分のルーツを探る旅」。
私の場合、かかった費用は、
改正原戸籍(除籍謄本)9通×750円=6750円で、
江戸後期までの直系の先祖の名前や住所がわかりました。
自分のルーツに興味があるという方は、
戸籍をたどってみてはいかがでしょうか。