楢﨑 瑞の日記
エース
気持ちが突き動かされる。
心を震わせてくれる。
彼がどんな選手か、と説明するなら、私はそんな言葉を選びます。
12月18日、レノファ山口の岸田和人選手が、J3盛岡へ期限付き移籍をすることが発表されました。
彼の新たな挑戦を応援しつつ、
しかし、どうしようもなく襲ってくる喪失感は、
「心にぽっかりと穴が開いてしまった」以外に表現のしようがありません。
レノファ山口を応援している、あるいは普段から試合をご覧になっている方であれば、
もはや彼の存在について説明する必要はないかもしれません。
彼がレノファにやってきたのは2014年。
レノファが、アマチュア最高峰・日本フットボールリーグ(JFL)に参戦した年です。
町田から期限付き移籍でやってきた彼は、21試合で17得点を挙げ、JFL得点王に。
レノファのJ3加盟に大きく貢献しました。
J3リーグにその舞台を移した2015年も、
いまなおJリーグ記録である9試合連続ゴールを記録するなど、
34試合で32得点を挙げ、J3得点王。レノファのJ3優勝、J2昇格の原動力と言っても過言ではありません。
ストライカーとして得点を重ねていく姿はもちろん、
点差や状況に関係なく、圧倒的な運動量で
ピッチを縦横無尽に駆け回る姿が、彼の大きな魅力。
ピッチの中では
気性が激しく…というよりとにかく熱い選手で
レフェリーから提示される黄色い紙の枚数は数知れず
が、ピッチを離れると、きわめて紳士。
目尻の下がった、人懐っこい表情で、
報道陣のどんな質問にも真摯に答えてくれる姿が印象的でした。
ピッチの外ではいわゆる”いじられキャラ”
温和な性格も手伝って、彼を慕う若い選手も多かったように思います。
JFLからJ2まで駆け上がった、レノファ躍進の歴史は彼とともにあり、
その象徴的な存在こそが、岸田和人という選手でした。
相手キーパーにぶつかってに行かんばかりのプレスをかけ、
チームが本当に苦しいときにゴールを決めてくれるその姿に、
チームも、私自身も、いったい何度救われたでしょうか。
「エース」という言葉があります。
英語では「第一人者」を指し、
スポーツに限らず、様々な場面で「最高の」「至上の」といった意味合いで
使われる言葉です。
「みんなのレノファ」では…少なくとも私が担当になってからは、
この「エース」という単語を、岸田選手以外には使ったことがありません。
レノファがJ2に昇格してからは、
ケガの影響もあり、彼自身、不本意なシーズンが続いています。
それでも、スタジアムで彼の名前がコールされる度に、
スタジアムは、震えんばかりの声援に包まれ、
「岸田なら、岸田が、なんとかしてくれる」
…と、思えてしまう。それがどんな状況であっても。
まさに、彼が「エース」だからです。
それは、いままで積み上げてきたもの、
得点の数だけでなく、見せてきた姿を含めて、です。
「山口に必要としてもらえた。それが嬉しかった。お前しかいない、とか、お前が頼りだ、とか言われると、本当に力になるんですよね。よし、ならやってやろうって。きつくても、まだやらなきゃって思えるんですよ」
J3で優勝争いをしていた時にインタビューで語ってくれたこの言葉が、
彼の人となりを最も表しているのではないでしょうか。
自分のために、だけではなく、
必要としてくれる山口のために、頼ってくれる誰かのために、走る。走れる。
それが岸田和人という選手であり、
それがエースたるゆえん。
彼のプレーが、心を震わせてくれる理由であり、
私がエースという言葉を、彼にしか使わない理由です。
自分を必要としてくれた山口という場所に、
彼は並々ならぬ思い入れを持っています。
同時に、盛岡の秋田豊監督から熱烈なオファーがあったとも聞いています。
悩みに悩んで、
求められ、必要としてくれる場所で戦うことを、彼は選びました。
移籍に際して、
「JFL時代からこれまで6年間、このチームの誇りを胸に戦ってきました」
「またレノファ山口に、山口県のファンサポーターの皆様に戻ってこい!と言われるくらいに成長していきたいと思っています」
…というコメントがありました。
実に彼らしい決断であり、彼らしいコメントだと思います。
必要とされる場所で、必要としてくれる人たちのために戦う。
岸田和人は、必ず、盛岡で大暴れをしてくれるはずです。
そしていつの日か、
また、維新のピッチで、心を震わせてくれる”エース”が駆け回る…
そう信じて、彼の活躍を願っています。
山口にJリーグを連れてきてくれてありがとう。
山口を何度も救ってくれてありがとう。
そんな言葉を抱きながら。