楢﨑 瑞の日記
涼風
「夏」が終わった。
まだ8月に入ったばかり。
夏の暑さもこれからが本番という時期ですが、
それが正直な気持ちです。
「やまぐち高校生2020メモリアルカップ 夏季高等学校野球大会」は、
高川学園の優勝で幕を閉じました。
ブラスバンドも、応援団もいないスタンド。
球場の出入りにはマスク。
あらゆるところに置かれた消毒液。
もっとも大きな違いは、
勝ち抜いた先に甲子園がない、ということ。
何もかも、いつもと違う夏の高校野球。
毎年、実況や取材で携わる身として、
どういうスタンスで臨めばいいのか。正直、悩みました。
大会直前の5日間、
Jチャンやまぐちで「夏を待つ、君たちへ」という企画を、
私自身が取材・編集し、放送しました。
甲子園という大きな目標がない今、
彼らはどんなことを考え、
そばにいる指導者たちは何を伝えるのか。
高校球児をはじめとした高校生たちに向けたメッセージ企画のつもりでしたが、
取材をしていく中でハッとさせられたことがありました。
「代替大会は、“かわいそうな”大会ではない」
ある強豪私立の監督の言葉です。
「学校ごとに正解があると思いますが、少なくともウチのチームは」と前置きしたうえで、
「やってはいけないのは、”変わってしまう”こと」
「甲子園が中止になった。でも、これまで彼らが頑張ってきたのは、甲子園に出て勝つためです」
「甲子園で勝ちたい。その思いをもって集まって、一緒に頑張ってきたんです、彼らは」
「いまそれをやめてしまったら、じゃあ彼らの2年半はなんだったのか…と」
「甲子園はもうないから、もう頑張らなくてもいいぞ…というのは違う。
それは彼らの頑張りに対する否定のような気がして。だから何も変えませんし、代替大会も勝ちに行きます」
「結果的に」甲子園という大きな目標に届かなくとも、
球児たちが積み重ねてきた時間や努力は変わらずそこにあって。
真摯に野球に打ち込んできたからこそ、
真剣勝負の場として、全力で勝ちに行く。最後までそれを貫く。
それが指導者として、球児への礼儀であり、義務だと。
確かに甲子園という大きな目標はないのかもしれません。
ただ、彼らはここにいて、彼らの思いをつなぐ後輩たちがいて、それを見守る指導者がいること。
そして目の前の一球に全力を尽くすこと。それは何一つ変わることはありません。
取材や実況をする私たちもそれは同じ。
全力でプレーする選手たちがいる以上、私たちとて「変わってはいけない」のだと気づかされました。
私にとって高校野球は、
アナウンサーを志した理由であり、
続ける意味であり、
そのすべてと言っても過言ではありません。
私の「夏」とは、山口の高校野球です。
その気持ちを変えることなく、実況のひと言に、原稿の一文字に全力を尽くす。
一度しかない高校生活に、
山口という場所で、野球に打ち込んでくれた彼ら、彼女らに感謝と尊敬の思いをこめて。
そうすることでしか、その頑張りに応えられないのだと。
高校生たちへのメッセージを込めた企画のつもりが、
逆に私が元気づけられた気がします。
そんな「夏」でした。
第102回全国高等学校野球選手権 山口大会は「中止」になりました。
ただ、来年は103回、再来年は104回…
試合はなかったかもしれません。ただ、ことしの球児たちの大会は確かに存在しています。
そしてその大会は、これから人生の中でずっと続くのかもしれません。
それぞれの人生の中で、それぞれが「優勝」できる大会として。
「勝て」でもなく「負けるな」でもない。
それぞれにとっての「優勝」を目指して進んでほしい。
それをずっと、見守っていたいと思います。
熱い戦いと、思いと、努力を胸に刻み込みながら。