楢﨑 瑞の日記
春を待つ
吉報が待ち遠しい。
1月29日に出場校が発表されるセンバツ高校野球。
昨秋の中国大会で準優勝し、出場が有力視される下関国際高校野球部を取材してきました。
センバツを前に、選手たちも気合いが…と書きたいところですが、
下関国際の練習を見ていると、「常に気合いがすごい」と書くべきなのかもしれません。
何度も練習の取材にはお邪魔していますが…
ひとつのプレー、一本のダッシュに対する集中力というか、こだわりというか。
その練習風景や熱気、周囲への声かけから「常に試合を意識した」練習をしていると強く感じました。
これってすごく大切なことで…
どうしても厳しいトレーニングを「すること」が目的になってしまって、
その練習をすることで何ができるようになるのか?という部分がすっぽり抜けちゃうことがあるのです。
練習をやっていること自体に満足する、というか。
私も大学まで野球をしていたのですが、
自分の選手時代を振り返ると、まさにその状態で…
もちろん、すべてが悪いわけではありません。
がむしゃらに練習量を増やしていくことで得られる自信もある、と個人的には思っています。
そこに「どういう目的でやるのか」という意識が加わればさらに良いのでは、というお話です。
練習中、選手間では、それぞれのプレーに対してとても厳しい声が飛び交います。
ミスに対してではなく、ミスをしたあとのプレーに対してです。
「ミスしたあと、どういう動きを、どんな意図を持ってやったか」
あるいは、
「誰かがミスをしたとき、カバーをする動きがちゃんとできていたか」という部分への指摘が特に多い。
「プレーはそこで終わりではなく、その積み重ねが9イニング」
「ミスは起こるもの。ただ、そのダメージを最小限にする準備はできる」
指揮を執る坂原監督が取材中にお話しされたことですが、
まさにこの言葉がチーム内で共有されていると感じました。
エラーをして終わり、ではなく、エラーをした結果ランナーは残る、あるいは失点することになり…
そして、その結果の積み重ねが勝敗になります。
「100対0で勝っていても、3アウト取らなければ終わらないのが野球。自力で終わらせるしかない。自力のスポーツですからね」と坂原監督。
考えてみれば「そうだよな」と思うのですが、
それが選手全員で共有されていると考えると、もはや凄みすら感じます。
出場が決まれば3年ぶり。
甲子園でどんな野球を見せてくれるのか、今から楽しみです。