のJチャンやまぐち
「もう1回やりたい」——
元球児テノール歌手が、夏の球場でマウンドに立った日

「やっぱり野球を愛してる」——今年の夏の高校野球のスローガンです。
その言葉がこれほど似合う人物が、山口県にいます。
テノール歌手・藤田卓也さん、50歳。
下関市を拠点に国内外で活動するオペラ歌手であり、
かつては豊浦高校野球部でライトのレギュラーを務めた元高校球児です。
2026年7月10日、高校野球山口大会の開幕前日。
yab山口朝日放送の情報番組「Jチャンやまぐち」は、
その藤田さんをオーヴィジョンスタジアム下関に迎え、生中継で届けました。
「声がけは、危険なプレーを予防するためにも大事」

小学校での特別授業。
藤田さんが伸びやかな声を教室中に響かせると、子どもたちが目を丸くします。
そのテノールの声は、実は野球と深くつながっています。
「声だけは自信はありましたね」と藤田さんは言います。
「今のようなきれいな声を目指すということはありませんでしたけれど」
ライトを守っていた藤田さんにとって、グラウンドで声を出すことは必然でした。
「声がけっていうのが、危険なプレーを予防するためにも大事になってくるので。
『オライ、オライ』ってね、『任せろ』って。
任せた、っていう声がやっぱり通ったほうがいいですからね」
「後ろからよく声が聞こえるな、と思っていた」

当時の同級生・石田賢次郎さんも、その声のことをよく覚えています。
「野球部の太陽的な存在で、負けてるときとか落ち込んでるときとか声出していこうよ、みたいな。
ムードメーカー的な存在でした」
石田さんはセカンドを守り、藤田さんはライトにいました。
「後ろからよく声が聞こえるな、と思っていた」——石田さんは懐かしそうにそう振り返ります。
「うわー、って気持ちがいろいろあふれてきて、泣きましたね」

しかし、甲子園への夢は叶いませんでした。
最後の夏の大会は、準々決勝で敗れました。
試合が終わったとき、友人がひと言、こう言ったといいます。「もう1回やりてえ」
「そしたらもう、うわーって、この気持ちがいろいろあふれてきまして。
泣きましたね、あのときは」
藤田さんはそう語り、少し間を置きました。
「消去法で最後に残ったのが、音楽だった」

野球を終えた藤田さんが音楽へ向かったのは、実は「消去法」だったといいます。
「野球をずっと続けてきましたから、野球関連なのかな、体育関連なのかな。
あと心理学にも興味があったので心理学。経済学も興味あったんで経済学」
さまざまな選択肢を並べていく中で、ふと思い浮かんだのが、文化祭でやったアカペラでした。
「その進路の1つだったのが、最終的に消去法で残ったのが音楽だったんですよ」
そして、こう続けます。
「野球ほど情熱をかけられるものは、もしかしたら音楽かもしれないって思いました」
「こんな風貌で王子と言っていただけて、恥ずかしい」

大学から本格的に音楽を学び、長い年月をかけて声を磨いてきた藤田さん。
現在は下関市を拠点に、国内外の舞台で活躍しています。
共演する音楽関係者は言います。
「音楽界って割とマイペース、自分がまずっていう感じなんですけど、
彼はこう、自分もだけど、周り、スタッフの隅々まで全部気を使えるっていう」——
そして一言、「王子だよね、だから王子って呼んでるんですけど」と。
テノールは、オペラの中でも恋人役や主役を担うことが多いといいます。
「藤田卓也として見るんじゃなくて、テノールの役として見てくださるから、
こんな風貌で王子と言っていただけて、恥ずかしいですけどね」
照れ笑いが、いかにもこの人らしい。
「生半可な気持ちで向かうものではない」

テノール歌手として第一線に立ちながら、藤田さんの目は今も高校野球に向いています。
「高校野球で戦ってる選手たちが、お兄ちゃんに見えるんですよ」
50歳になった今も、あの夏の記憶が生きています。
「高校野球は、野球をやってる子どもたちの憧れの場所でもあり、
何年もかけてたどり着くところなので、生半可な気持ちで向かうものではない。
やはり人生にとって大きな場所なんだなという感じですね」
「試合前のセレモニーで歌えたら、すごくうれしい」

そして、藤田さんには夢があります。
「野球と歌の、この関連するところ。それが、国歌斉唱ですとか、
試合前のセレモニーの部分で歌えたらすごくうれしいなというのがありますね。
それは夢に思いますね」
その夢が、開幕前日の夜に一歩、現実に近づきました。
7月10日夜、オーヴィジョンスタジアム下関。
開会式のリハーサルを終えたばかりのグラウンドに、藤田さんが立ちました。
三塁側ベンチからバッターボックスへ歩きながら、かつてこの球場で試合をした日々を語り——
そしてマウンドへ向かいました。
山口県高野連とオーヴィジョンスタジアム下関の協力のもと実現した、生中継でのアカペラ独唱。
全国高等学校野球選手権 大会歌「栄冠は君に輝く」の歌声が、夏の夜の球場に響き渡りました。
マウンドの上に立ち、バッターボックスに向かって歌う元球児の姿。
その声は、かつてライトから「オライ、オライ」と叫んでいた声と、確かに同じ人のものでした。
高校野球山口大会は、県内4球場で開幕しました。
夢を追い求める気持ちは、あの頃と同じです。


