11月13日のJチャンやまぐち 11月4日 古地図片手にまち歩き~川棚(下関市)~ 古地図片手にまち歩き~川棚(下関市)~ 県内には、江戸時代の古い地図がたくさん残っています。 最近では、観光資源として活用され、パンフレットも作成されています。 Jのオススメ!では、古地図を元に、その地域を“再発見”します。 今回は川棚をご紹介します。 御国廻御行程記(おくにまわりおんこうていき)は寛保2年(1742)に萩藩の絵師・有馬喜惣太(ありまそうた)がお殿様の御国廻りに際して書かれた地図です。 川棚温泉は800年の歴史があり本州最西端の温泉郷で萩と本州と九州を結ぶ交通の要所として下関(湯谷往還)を行き交う旅人を癒す町です。温泉街の中心には三ツ辻と呼ばれる三叉路があります。 今から約1400年前…水の神様として一匹の青龍が沼地に住んでいました。青竜によって農作物は豊かに育ちたくさんの魚が取れました。 しかしある時…大地震が起き青龍は死んでしまいます。それから疫病がはやり人々の生活が苦しくなっていきます。困った村人は青竜を祀る社を建て祈ります。すると、不思議なことに青龍の住んでいた跡から温泉がわき出て疫病を治したとされています。江戸時代の川棚温泉は湯谷温泉とも呼ばれ、お殿様御用達の下湯(青竜泉)と上湯の2つの温泉がありました。それぞれに「一之湯、二之湯、三之湯」と呼ばれる湯船が用意され、身分によって入湯を制限されていました。 応永23年(1416年)大内持盛によって創建された寺は大内氏滅亡後に長府毛利藩が治めるようになります。 長府毛利藩の毛利綱元は病の治癒のために妙青寺に御本陣を置き温泉に浸かって病を治したとされています。 川棚温泉はお殿様の湯として広く知られるようになりました。 本堂裏にある庭園は室町時代に活躍した水墨画家で禅僧の雪舟により造られたものです。 宇宙をテーマにして日本の四季を感じられる庭になっています。 御本陣の庫裏の天井には江戸時代の桜などの画が残っています。