のJチャンやまぐち
11月25日 古地図片手にまち歩き~椿東Ⅱ(萩市)~
古地図片手にまち歩き~椿東Ⅱ(萩市)~
県内には、江戸時代の古い地図がたくさん残っています。
最近では、観光資源として活用され、パンフレットも作成されています。
Jのオススメ!では、古地図を元に、その地域を“再発見”します。
先週に引き続き「椿東」をご紹介します。
御国廻御行程記(おくにまわりおんこうていき)は寛保2年(1742)に萩藩の絵師・有馬喜惣太(ありまそうた)がお殿様の御国廻りに際して書かれた地図です。
古地図に書かれている道や川が現在もそのまま残っています。
松陰神社の脇道を新道といい、伊藤博文の旧邸や別邸・明治維新の先覚者吉田松陰の誕生地、そして松下村塾の創設者で松陰の叔父さんにあたる「玉木文之進旧宅」など歴史の名所を歩くことができます。
伊藤博文は熊毛郡束荷村(光市)の農家に生まれます。
9歳の時に家族で伊藤弥右衛門の養子として萩に移り住みます。
17歳で松下村塾に入り吉田松陰の元で高杉晋作・久坂玄瑞・桂小五郎など幕末の志士らと共に学びます。
文久3年(1863)長州五傑(長州ファイブ)井上馨・遠藤謹助・山尾庸三・井上勝・伊藤博文ら5人は長州藩からヨーロッパに秘密留学しました。
イギリスの圧倒的な国力の差に攘夷の思想を辞め開国を進めることになります。
明治18年(1885)初代内閣総理大臣に就任しますが、満州訪問時に狙撃され
69歳でこの世を去ります。旧宅は木造茅葺き平屋建ての当時のまま残っており、
博文が明治元年に兵庫県知事に赴任するまでの本拠となった家でもあります。