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12月16日 古地図片手にまち歩き~最終回~
古地図片手にまち歩き~最終回~
県内には、江戸時代の古い地図がたくさん残っています。
最近では、観光資源として活用され、パンフレットも作成されています。
Jのオススメ!では、古地図を元に、その地域を“再発見”します。
今回は今まで回ってきた古地図を元に総集編をご紹介します。
古地図は江戸時代に萩藩の絵師がお殿様の御国廻りに際して書かれた地図です。
「古地図片手にまち歩き」は2012年4月に光市室積から番組が始まりました。
江戸時代から港町・商業の町として栄えた室積には、昔と変わらぬ風情が、そのまま残されていました。
千年以上の歴史を持つ、「普賢寺」。江戸時代には、毛利氏の祈願寺となっていた格式の高い お寺です。
また高杉晋作達が会合をしていた場所でもありました。会合中に銃弾を打たれて暗殺されかけたり、寺には今も当時の弾痕の傷跡が生々しく残っています。
幕末に建てられたという「露山堂(ろざんどう)」。
お茶会と称して、萩藩のお殿様と幕末の志士たちが討幕に関して、様々な意見が交わされた場所です。 当時は、身分制度も厳しかったでしょうから、お殿様に対して、「身分を問わず、意見を言えた」というのは、本当に画期的なことですよね。
「毛利敬親」の、柔軟な考えがあったからこそ、 長州の若き志士たちは、明治維新で大きな役割を 果たすことが出来たのかもしれません。
お茶会に参加したかもしれない奇兵隊創設者の高杉晋作の眠る下関市吉田も古地図片手に巡りました。
日本一広い敷地とも言われている下関市立東部中学校。
この場所に萩藩の支藩の支藩である清末毛利藩の藩邸がありました。
清末・小月地区に散った清末藩邸跡は神社の表門やお寺の玄関として今も大事に使われています。
周南市戸田地区…ここには古地図に載っているものを探す楽しさがありました。
古地図に記されている、船山を護っていた4つの「イカリ石」。
戸田の町に今も残されています。ひとつは「船山神社」の境内…2つ目は
船山神社から歩いて5分ほどのところ。3つ目は民家の庭にありました。4つ目はまだ見つかっていません。
1年8ヵ月続いた古地図片手に街歩き県内外…いろいろなところにおじゃましました。古地図で巡るからこそ新しい発見や出会いがありました。 

