柳井市で平和の鐘を慣らそう
柳井市で平和の鐘を鳴らすイベントが開かれました。
そこはアメリカ兵が原爆の犠牲となるきっかけとなった場所でした。
柳井市伊陸にある平和の碑。
=地元自治会長=
「(墜落現場は)この先山を超えたところ。
ここに破片が積み上げられ地元の人が持ち帰って
ナベやフライパンに加工していた。自宅にもあった」
終戦直前の1945年7月、アメリカ軍の爆撃機がこの付近に墜落しました。
乗組員9人のうち8人が無事脱出。
その後、捕虜となって広島に送られた6人が原爆投下で死亡しました。
石碑は機体の残骸が集められていた場所に建てられています。
岩国ユネスコ協会は毎年夏に平和の鐘を鳴らすイベントを開いていて
今年はこの場所が選ばれました。
=ユネスコ部部長=
「誰も置き去りにしない世界は私たち一人ひとりが作っていくものです。
一人ではこのような世界を作ることはできません。
だからこそユネスコ部の活動などを通じて世界の課題について考える
きっかけを作りたいと考えています」
約40人の参列者がゆっくりと鐘を鳴らし、平和への思いを新たにしました。
=高校生=
「アメリカ人の人たちが、アメリカの爆撃で亡くなったことを初めて知って
悲しいことだと思いながら話を聞いていた」
「日本は平和を続けられているので、しっかりみんなが笑顔で過ごせる世界が
続いていくと良いなと思った」
近くには地元の人が建てた小さな史料館があります。
最近、墜落した爆撃機の残骸と見られるアルミ板が持ち込まれました。
地元の人が持ちかえっていたものです。
=触った高校生=
「信じられない。あまりに軽すぎて」
高校生は、一部が腐食した残骸から長い年月を感じていました。
=武永昌徳館長=
「若い人が石碑の後記念館に来て興味を持ってもらえた。
多くの人に79年前にあった出来事を確かめてもらいたい」
石碑の前では風船が空に放たれました。
79年前、アメリカの爆撃機が飛んだ空に明るい色の風船が広がっていきました。
UPDATE:2024-08-05