【山口】徳山下松港 海中の不発弾処理が成功 周辺への影響なし

2025年9月に徳山下松港で見つかった不発弾が爆破処理されました。爆破は成功し、周辺への影響はないということです。

出光興産徳山事業所の桟橋付近には、爆破の衝撃を抑えるため水中で気泡の壁をつくる「バブルカーテン」が設置されました。不発弾処理で使用するのは、国内で初めてです。
爆破時刻は近くを通る新幹線や列車の運行時間を避けるため、午前11時8分に設定されました。周南市は広報車を使って注意を呼びかけました。
爆破の予定時刻を迎えると…

【井上隼 記者】
「海中爆破が行われました。水柱が高々と上がりました。ドーンという音が、まちに響き渡っています」

海底9m付近にあった不発弾の近くに海上自衛隊が爆薬を設置し、遠隔操作で発火させて爆破しました。

現場周辺に出されていた航行・停泊の禁止は解除されました。出光興産では桟橋を使った石油製品の入出荷ができていませんでしたが、安全が確認されしだい再開する予定です。

不発弾が見つかった場所は旧日本海軍の燃料廠があった場所で、1945年5月にアメリカ軍の空襲を受けています。
爆破処理にあたった海上自衛隊は「歴史的な背景からアメリカ軍の不発弾の可能性はあるが、詳細な調査ができていないため断定できない」としました。

UPDATE:2026-03-25

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