周南市大津島「回天」戦没者の追悼式

決死の出撃が始まってから今年で80年となります。人間魚雷「回天」で戦死した搭乗員たちの追悼式が周南市大津島で10日行われました。太平洋戦争末期大津島には回天の訓練基地が置かれていました。1944年11月8日に「回天」が初めて出撃したことから大津島では毎年この時期に追悼式が行われています。式では地元の中学生や高校生が平和への思いを語りました。中学生「回天特攻会の悲劇の作戦は何度聞いても恐ろしく悲しい気持ちになります。戦争イコール原爆と思われがちですが原爆のほかにも悲惨な出来事があったことを忘れてはいけないと思います」。戦死した回天搭乗員や整備員は145人。平均年齢はおよそ20歳でした。遺族「若い方が高校生中学生がいろいろお話しいただいて継承していかないとだめということが改めて胸によみがえってきました」.およそ100人の参列者は慰霊碑に白い菊の花を手向けていました。

【山口】特別国会招集 決意新たに山口県選出の議員が登院

11日に特別国会が始まりました。10月の衆議院選挙で当選した山口県選出の議員もそれぞれ登院しました。特別国会を控えた国会議事堂の正門は、午前8時に開かれました。山口2区で敗れたものの、比例で復活当選を果たした立憲民主党の平岡秀夫さんは6回目の当選でしたが、一度は政界引退を表明していて12年ぶりの登院となりました。【平岡秀夫 衆議院議員】「議員を引退した後も東京で仕事をしてましたので、時々は国会の関係で仕事をしていましたから、そんなに懐かしいという感じではないです。いろいろやらないといけないことがあるので、それをこなして、どうやってこなしていこうかという、そっちの方に頭が回っている感じですね。」3期連続で当選した自民党の高村正大さん。特別国会は自民党が過半数割れする「少数与党」の状況で開かれます。【高村正大 衆議院議員】「非常に大変だと思いますけども、こういう時でないと経験できないこともあるので、しっかりと自分の糧にして、ただ一方で、国民生活に迷惑はかけないように予算も法律もしっかりと作っていかないといけない。」山口2区で再選を果たした自民党の岸信千世さんは…。【岸信千世 衆議院議員】「国会内での議論を重ね、また党内での議論を重ね、しっかりと政策を前に進める。これが政権の役割だと思っていますし、そこを支える政権与党としての一員として働いていきたいと思っております」特別国会では総理大臣の指名選挙が行われ、石破総理が再び選ばれました。第2次石破内閣では、山口3区選出の林芳正さんが引き続き官房長官に任命されました。

【山口】海上自衛隊下関基地隊所属 掃海艇「うくしま」が火災 乗組員1人が行方不明

10日、海上自衛隊下関基地隊所属の掃海艇が福岡県の沖で炎上しました。掃海艇は沈没し、11日午後8時現在、隊員1人が行方不明となっています。火災が発生したのは福岡県宗像市の沖合です。福岡海上保安部によりますと、掃海艇「うくしま」から「エンジンルームで火災が発生し1人が取り残されている」と第七管区海上保安本部に通報がありました。「うくしま」は海上自衛隊下関基地隊の所属で、10日に基地を出発して鹿児島県の志布志港に向かっていたということです。海保の巡視艇などで消火活動を行い、一度は鎮火したかに思われましたが、再び火の勢いが増したことから乗組員は別の掃海艇に避難しました。11日未明に「うくしま」が転覆したことで火災は鎮火しました。その後、11日午前8時半ごろに「うくしま」は沈没しました。出火当時、当直勤務にあたっていた古賀辰徳3等海曹(33)の行方が分かっておらず、潜水士による捜索と流出した油などの調査が行なわれています。

【山口】下関市の火の山ロープウェイ 66年間の営業が一旦終了 最終日は多くの人が別れを惜しむ

【ロープウェイのアナウンス】「本日、ゴンドラがラストの1日となりました。みなさまの思いをこのシールに書いていただいておりました。」ゴンドラ内には、名残りを惜しむ声や感謝の気持ちを伝えるメッセージが所狭しと並びます。車窓からは関門橋や関門海峡といった絶景が広がっていました。1958年開業の火の山ロープウェイは、毎年3月から11月まで運行されてきました。春には桜やチューリップを求めて多くの人が訪れます。今のゴンドラは1978年から使われています。これまでに約1350万人が利用してきました。今回、火の山一帯の再編整備事業でロープウェイもリニューアルされるため、今のロープウェイとは10日でお別れです。今では国内にほとんど残っていないという手動運転のロープウェイを操作するのは、高校卒業から30年間、火の山ロープウェイ一筋の古澤卓巳さんです。【火の山ロープウェイ 古澤卓巳さん】「楽しい思い出が心の中に残ってくれれば、運転してた方としてはうれしいですね。新しくなるとはいえ、このロープウェイを忘れてほしくないですね。」午後5時前、市民らに見送られながら最終便が出発しました。開業から66年。先輩たちからのバトンを引き継ぎ「無事故営業」をやり遂げました。【火の山ロープウェイ 古澤卓巳さん】「一番はやっぱり無事故で終われたのでホッとしたのとうれしさと、あとはもう動くことがないさみしさと、なんかいろいろですね。66年前の機械があったりするので、壊れなくて、よかったなあ。今まで働いてくれた機械に、ありがとうって言いたいですね。」多くの人たちに支えられたきた火の山ロープウェイ。惜しまれながら66年の歴史に、一旦幕をおろしました。