5月22日Hero’s Come Back(楢﨑瑞)

Hero’s Come Back


5月22日 Hero’s Come Back(楢﨑瑞)
【5月22日 vs V・ファーレン長崎 0-3●】

「順位は関係ない。あっという間に入れ替わるほど力が拮抗していて、気を抜ける相手などいない。それがJ2というリーグ」

 

上野監督の言葉に、重みを感じました。

 

そうです。これがJ2リーグ。

あっという間に研究され、そして対策を講じられる。

J3もそうですが、それぞれが地域のプライドを持って戦っているのですから。

 

ただ、まだシーズンは序盤。

相手が研究してくるということは、こちらも研究できるということ。

ここまでケガ人も多く、岸田選手をはじめ、ベストなコンディションというわけではありません。そんななか、ここまで様々な選手が試合に出ながら、試行錯誤をしながら、課題を見つけながら、5位という順位にいるのです。

 

別にプラス思考をしているつもりはありません。

ただ、どうネガティブに考えても、

「これってすごいことじゃない?」と、私は思います。

 

負けると機嫌が悪くなるくらいに悔しい。

勝てば、翌日ずっと幸せな気分になれるくらい嬉しい。

レノファに関わるようになってからというもの、週末の喜怒哀楽が激しくなったような気がする私ですが…それもレノファを応援しているからこそ。

逆を言えば、喜怒哀楽を感じられるからこそ、応援できるのだと思います。

 

身近なところに、そんな存在があることを誇りに思いながら…

さぁ 次は やってやろう!

写真

(試合後のひとコマ これもJ2にいるからこそ…ですよね!)

 

 

【楢﨑の取材こぼれ話 「Hero’s Come Back」】

※セレッソ戦のコラムで書ききれなかったこと、少し追記させてください。

 

ピンク色に染まったスタジアムに響いた長い笛。

大きな声援がため息に、負けじと張り上げていたオレンジ色の声援が歓声に変わる。

それと同時に、ピッチに崩れ落ちる選手がいた。

この試合での彼は、敗者ではない。勝者だ。

それでも、うなだれるようにピッチに突っ伏す姿は、

90分間を、最後のひと絞りまで全力で走り切ったがゆえだろう。

 

仲間に助け起こされながら汗をぬぐう。

チームで最も大きな背番号を背負う彼は、満足そうな顔で大きく息を吐いた。

 

思えば華々しい道を歩いてきた。

名門チームのユース出身で、世代の日本代表としても活躍。

トップチームに昇格し、J1のピッチにも立った。

順風満帆なサッカー人生。そのはずだった。

 

しかし、思うような結果が残せず、レンタル移籍を経てJFLのチームに所属。

そこで活躍するも、2年で退団。

 

 

「正直、ここまでかなと。悔しさというか、脱力感というか。新しいことを始めようかな、そんな気持ちでした」

 

新たに飛び込んだフットサルの世界。

地元名古屋の強豪チームに練習生として入団した。

監督含め、チームの半数は外国人。

「フットサルより先に、ポルトガル語を覚えました」

 

実力が全て。プロである以上、その構図はどこの世界でも変わらない。

サッカーとは違う距離感、考え方、パスひとつ、ボールへの入り方一つ取っても

これまで培ってきた事とは大きく違った。

 

「日本にいながらサッカー留学をしている気分でした。でも、はっきり言えるのは、もっと早くフットサルをやるべきだったということ。サッカー観が大きく変わりました」

 

2013年、当時地域リーグを戦っていたレノファに加入。

キャプテンとして、中心選手としてチームを支え続けてきた。

 

「足りないものだらけのキャプテンですけど、サポーターをはじめ、支援してくださる方のおかげでここまで来られている。だから、やるしかない」

「出場するチャンスはそう多くない。でも、出たからにはチームを救うプレーがしたい。

自分にはサッカーしかない。だからサッカーで恩返しをしたい」

 

J2で迎えた今シーズン、彼の出場機会は激減。

練習でもトレーニングマッチでも、コンディションは良い。

しかし、試合に出られない。

好調なチームの裏で、どれほどの葛藤があったのか。想像に難くない。それでも。

「待ってもらえる限り、最高の準備をします」

 

「待ってもらえる限り」、前を向く。

待ってくれているのが、誰なのか知っているから。

 

大阪。キンチョウスタジアム。

チームが司令塔の一角を欠くなか、彼はピッチに立った。

今シーズン、初スタメン。

 

鬱憤を晴らすかのようだった。

下馬評では不利とされたセレッソを相手に走り続けた。

攻撃に、守備に。右に、左に。

体を張って守備の要となり、攻撃の起点ともなった。

 

「できるならば、もう一度J1の舞台に立ちたい。あの頃できなかったことができるかもしれないし、もっと上に行きたいから。どん底は何度も見たのでね」

 

去年、私に語った言葉。それはタテマエでも何でもなかった。

点を決めたわけでも、アシストをしたわけでもない。

90分間。堂々とピッチに立ち続けたその背中に、そのプレーに、

終了と同時にピッチに倒れこんだその姿に、

彼が「キャプテン」たるゆえんを感じた。

 

「来年があるとは限らない。残りの試合が、サッカー人生最後の試合になるかもしれない。そういう気持ちで戦う。それだけです」

 

彼が歩む道のりはこれからも厳しいのかもしれない。

現に、長崎戦ではメンバーに入っていない。

それでも、「待ってもらえる限り」彼は前を向くのだろう。

 

去年11月。最終戦。アディショナルタイム。ラストプレー。

彼の右足から放たれたシュートが、レノファをJ2のチームにした。

誰もが、それを知っている。

 

それでも彼は言う。「恩返し」、と。

 

背番号 39。

最も大きな番号と、最も大きな存在感を背に、

ヒーローは、必ず帰ってくる。

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