聞こえなくとも、届かなくとも(楢﨑瑞)

聞こえなくとも、届かなくとも(楢﨑瑞)


聞こえなくとも、届かなくとも
6月8日。オレンジダービー。

およそ2か月ぶりのピッチ。

自分の名前を呼ぶサポーターの声と、肌がひりつくような緊張感。

 

「ああ、サッカーしてるんだなと。気持ちよかったですね」

安堵と喜び。入り混じった笑顔を見せたのは束の間。

 

「でも、それだけです。最低限の仕事もできてない」

 

引き分けという結果もさることながら、

セットプレーでの失点がよほど悔しかったのだろう。

宮城雅史の、自らに対しての採点はどこまでも厳しい。

 

「もっともっと練習しないと。もっと意識高くやらないと」

あまり感情を表に出さない表情に、珍しく自分への苛立ちが見えた。

 

不動のレギュラーだった去年に比べ、

今季は新戦力の台頭もあり、ベンチを温める日が続いている。

 

胸に宿る悔しさは、確かにある。

それでも、彼の口から愚痴や不満めいた言葉は一切出ない。

 

「頑張っているのに、なんて言っても意味がない。それが一番ダメ。プロなんだから、結果が出なきゃ使われない。当然です。それが嫌なら、使わざるを得ないぐらいの実力をつければいいだけのこと」

 

それが、プロだと思います。

そう言って宮城は黙々と汗を流す。

 

試合が終わっても、バスが出発するギリギリまでトレーニング。

出場機会がなかった試合の後には、ジムに通うこともある。

パフォーマンスを少しでも向上させられる設備があると聞けば、

オフを使って出かけていく。

 

「試合に出たい。勝ちたい。そのために必要なことをしているだけです」

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「どんなにボロボロになっても、最後までサッカーをやり切る」

 

宮城のサッカー人生を支えるもの。

それは、母と交わした、たったひとつの約束。

 

「今の、サッカー選手としての人生は母がくれたものなので」

 

彼がプロへの道を歩み始めたのは、高校3年生。

U18日本代表候補合宿に呼ばれたことが転機となった。

 

「みんなサッカーに対して意識の高い選手ばかり。自分はまだまだ甘い」

 

もっとレベルの高い環境でサッカーをしたい。

生まれ育った沖縄を離れ、関東の強豪への進学。

誰にも相談することなく、自らの意志で決めた。

 

「好きなことを、トコトンやらせてあげたい」

母は何も言わず、笑顔で送り出してくれた。

 

大学での生活は、決して順風満帆ではなかった。

レベルの高い選手が集まる中、レギュラーに定着したかと思えば、ケガでリセット。

彼自身が持つ責任感の強さと強豪の重圧が、彼自身を精神的に苦しめることもあった。

ピッチに立つのが怖い。そんな風に感じた日もあった。

それでも、宮城が、沖縄の家族に弱音を吐くことはなかった。

 

「しんどかったですけど…でも、心配をかけたくなかったので」

 

乗り越え、掴みかけたレギュラーの座。しかし、追い打ちをかけるように、大学3年の時に

前十字靭帯断裂の大けがを負ってしまう。

 

「ああ、終わったなと。大学で3年生って、進路のために一番重要な時期なんですよね。

だから、プロになるのはもう無理だなと」

 

切れかけた、サッカーへの気持ち。

 

プロは諦めて、どこかのクラブチームに入って、それなりに頑張って、

サッカー関係で就職…そんなことも考えていたという。

 

ただ、母にだけは、やっぱり言えなかった。

 

「似たものどうしというか…そぶりは見せなくても、一番心配しているのもわかっていたし、一番応援してくれていたのも母だったので…」

母にだけは言わぬようにと、父と兄に口止めをしていた。

 

彼なりの、母への思いやり、そのつもりだった。

 

 

大学4年になった。ケガから復帰もした。

それでも切れかけた気持ちを抱えたまま過ごしていた、ある日。

沖縄の家族からの、急な呼び出し。

 

「面影は無かったです。痩せてしまって、歩くのも誰かが支えないとダメで…」

 

病院に駆けつけた彼の目に映った、母の姿。

母は2年前から病に侵され、もうほとんど会話もできなくなっていた。

それでも、母は、息子にそれを伏せ続けた。

 

宮城の兄・将行(のぶゆき)さんは、当時を思い出しながら言う。

「雅史には絶対に言うなと念押しされていたんです。本当は一刻も早く伝えたかったんですが…「病気のことを言ったら、あの子がサッカーに集中できなくなるから」って」

 

「雅史は母を心配させまいとケガを隠していました。でも、母は母で、「雅史に心配かけたくない」って病気のことを言わなくて…両方の気持ちを知っているから…もう何も言えなくて…」

 

「好きなサッカーをやらせてもらっているから、心配をかけたくない」

「好きなサッカーに集中させてあげたいから、心配をかけたくない」

息子が母を思うのと同じように、母もまた、どこまでも息子のことを思っていた。

 

それでも、駆けつけた息子に、母はこう言ったという。

 

「ケガはもういいの?」

 

兄や父が言うはずがない。

息子の表情や仕草で、直感的に感じたのかもしれない。

 

「なんでしょうね…全部見透かされていたというか。気持ちの面も、ね」

 

お互いを思うゆえの、隠し事。

それでも母は、全てわかっていたのだろう。

 

宮城が、母と最期に交わした言葉。

 

「【あんたは、サッカーを続けなさい】って。ほんと、それだけでした。

……やっぱり敵わないですね。母さんには」

 

ほとんど会話はできなくなっても。

抱きしめることが出来なくても。

母は、その最期の瞬間まで、母だった。

 

「気持ちは分からないでもないです。似た者同士だから。だから、お互いに隠していたことも責めないし…うん、おあいこ、かなって」

 

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彼は今、維新のピッチにいる。

約束の答えが、そこにあるから。

 

もがき、苦しみながら。それでも彼はサッカーを続ける道を選んだ。

その道は、JFL、J3、そしてJ2へと続いていた。

 

「母の一言で、サッカーを続ける意思が固まった。

きっかけを作ってくれた母のお陰で、今のサッカー人生がある。

だから自分は、もっと高みに行って恩返ししなくちゃ、という思いがあります。

それを支えてくれるサポーターにも」

 

 

「それに、なんかこう、いつも母が見てくれている気がするんですよね。ハハ、変ですか?」

 

聞こえないけど、聞こえてる。

届かないけど、走り続ける。

 

どんな屈辱にまみれても、

苦しい状況に打ちひしがれても、

宮城雅史が戦い続ける理由は、それで十分だ。

 

島人の誇りと、母が指し示してくれた、確かな道。

維新の地に、どこまでも優しい南国の風が吹き抜けるとき、維新劇場は最高潮に達する。

そう、信じている。

 

6月12日 vs京都サンガFC(0-3●)@西京極陸上競技場

6月19日 vs水戸ホーリーホック(1-0)@維新スタジアム

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